「トゥールーズ=ロートレック」展 三菱一号館美術館コレクション<Ⅱ> 「トゥールーズ=ロートレック」展 三菱一号館美術館コレクション<Ⅱ>

 

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ロートレックの紹介

トゥルーズ=ロートレック(1864~1901)

トゥルーズ=ロートレック(1864~1901)
トゥールーズ=ロートレック美術館、アルビ
Musée Toulouse-Lautrec, Albi, Tarn, France

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、19世紀末のパリ・モンマルトルで活躍した画家・版画家です。同時代にはエドガー・ドガやヴィンセント・ファン・ゴッホらもパリで制作していました。当時のパリ、とりわけモンマルトル界隈はブルジョワ階級の人々が娯楽を求めてやってくる一大歓楽街で、キャバレーやダンスホール、カフェ・コンセール(演芸喫茶)、劇場や芝居小屋などが立ち並び、夜ごと様々なショーが繰り広げられていました。ロートレックはそこに集う人々や、ショーに出演する踊り子や歌手たちを、簡潔な線描と大胆な構図、豊かな色彩で描き出します。

リトグラフ(石版画)で制作されたポスターはパリの街に貼りだされるや、その斬新な手法でロートレックの名を人々に知らしめることとなりました。それをきっかけとして、シャンソン歌謡集の挿絵や雑誌の表紙絵、さらには版画集など出版文化の隆盛と相まってロートレックの仕事は幅を広げていきます。評判を耳にした企業からは広告ポスターの依頼も舞い込み、ロートレックは今で言うグラフィックデザイナーの先駆とも位置づけられるのです。

また、パリの華やかな文化の裏側で生きる娼婦たちの日常を、共感と愛情をもって描き出したロートレックは、常に温かいまなざしを忘れることがありませんでした。幼いころから好きだった馬や犬など動物たちも、ロートレックの手になると、生き生きとした感情までが伝わってくるように描かれます。日本美術への関心も大きかったロートレック。36歳という早過ぎる死によって彼の画業は閉じられてしまいましたが、残された多くの作品の中に、ロートレック芸術は今も鮮やかに、豊かに花開いています。

【略年表】

1864年
南仏アルビのボスク城で誕生。由緒ある貴族の家系であった。
1872年
リセに通うため一家はパリへ転居。
1875年
健康上の理由によりリセを退学する。
1878年
13歳のとき、左大腿骨を骨折。翌年には右大腿骨を骨折、両脚の発育が止まる。
1882年
モンマルトルにあるレオン・ボナのアトリエに入門。
ボナのアトリエが閉鎖になり、フェルナン・コルモンのアトリエに移る。
1886年
キャバレー「ミルリトン」店内に作品が飾られる。モンマルトルに自身のアトリエを借りる。
この頃から数々の雑誌に挿絵が掲載され始める。
1889年
「ムーラン・ルージュ」が開店し、ロートレック作品が展示される。
1891年
リトグラフの技術を習得。「ムーラン・ルージュ」のためのポスター制作、大評判となる。
1892‐98年
この間、多くの俳優、歌手、踊り子たちのリトグラフを制作。同時に欧州各地の展覧会へ出品。
版画集の出版や本の挿絵、雑誌にも作品が掲載される。
1899年
アルコール中毒の発作で入院。一時パリから離れるものの、戻る。
1900年
ボルドーに滞在。
1901年
パリに戻り、体調悪化。9月、母のいるマルロメ城にて死去。

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