皇居の東に位置し、現在、三菱一号館美術館が建つ丸の内の土地は、幕末には松平相模守などの大名屋敷が立ち並んでいましたが、明治維新後は兵部省などが連なる政府用地となっていました。三菱は1890(明治23)年、この丸の内の土地を政府より一括して買い取ります。第二代社長岩崎彌之助を中心とする三菱の首脳陣は、この丸の内を地震に耐える堅牢な事務所街にせんと、政府のお雇い外国人であった英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)に事務所建築の設計を依頼します。三菱一号館は、丸の内に建設された、三菱によるはじめての西洋式事務所建築でした。コンドルは弟子を起用しつつ、次々と煉瓦造りの建物を設計します。明治20年代以降、「三菱ヶ原」、「三菱の三軒長屋」などと呼ばれていた丸の内は、煉瓦建築の並ぶ「一丁倫敦」となり、次第に日本経済の中心となってゆきます。当時、三菱には、丸の内に美術館や劇場を作る計画がありました。三菱地所株式会社には、コンドルの直筆による二階建ての美術館計画の図面が、現在も残されています。